あらすじ
榊原ひとはは地味でさえない小学四年生。変身ヒロインアニメ「プリティウィッチ」が好きだが、小二の時にクラスメイトの美少女・葵に「可愛くない子は魔法少女にはなれない」と言われてショックを受けた。ある日、美形による魔法少女集団「エスゼティック」に属している紅という少女に出会い…
アニメの「ヒロイン」が、大好きで、大嫌いだった。
「プリティウィッチ・マジックアップ‼」
テレビの中の女の子たちは、コンパクトを手に、かけ声を叫んで変身する。キラキラした光が全身を包み、つま先、足、どう体、胸、腕、手先、髪が次々に変わる。
そして変身した女の子たちはいっそう可愛くなり、悪い奴と戦う。
何度やられても諦めず、立ち上がり、絶望にも負けない。
そんな女の子たちが、大好きで嫌で嫌だった。
だってあの子たちは、みんな「可愛かった」から。
「ほらー!取り返してみろよ、ブース‼」
教室のろうか側、前から三番目の席の横を、髪を逆立てた短髪の男子が走っていった。右手にはじょうぎを持ち、上にあげて振っている。
何のへんてつもない普通のプラスチックの透明なじょうぎで、水色のメモリとマス目がついているだけだ。キャラクターものの可愛いじょうぎを持っている女子の中ではめずらしかった。
「ひとは」は、じょうぎを振っている平野を見ずに、席に座ったまま広げた算数の問題集をじっと見ていた。平野は「ほら、ほら」とじょうぎを振ってひとはの前にちらつかせたが、視線を下に向けてちらりともしないひとはに、表情をくもらせて手を止めた。
「ちぇっ。つまんねーの」
そう言って平野はじょうぎをひとはの机の上に軽く投げた。
「もー、平野ぉ、意地悪やめなよ」
そう言ったのはろうか側から二列目の一番後ろに座っている女子、レイナだった。小学四年生にしてはめずらしい茶色の長い髪で、毛先は軽く巻いている。背が高く服そうもおしゃれで、今日は濃いめのピンクのキャミソールにすそにフリンジのついた黒いレースのカーディガンをはおり、青いデニムのショートパンツ、白黒ボーダーのロングソックスをはいている。
その近くには、レイナの友達である葵とかれんが立っていた。
ひとはは黙ったままデニムの無地のペンケースを見つめていた。
今の小学四年生はおしゃれだ。みんなファッションに興味を持ち出し、髪形もアレンジしたりしてこだわる。ふで箱や文房具もキャラクターものが流行り、女子の持ち物はみんなカラフルでキラキラしている。
そんな中、ひとはの持ち物は無地、キャラものなし、とすべて地味だ。
「でも榊原さん、今時そんなダサいじょうぎ持ってる子いないよ?もうちょっと可愛いやつ選べば?」
ひとはの服は近くの店でも一番安いショッピングセンターで買ったTシャツとひざ丈の茶色いズボンだ。髪も黒髪で、ショートボブと言えば聞こえはいいが近くの「さんぱつ屋」でカットした「おかっぱ」に近い髪型だ。そして目が細く顔はそばかすだらけで鼻も低い。一言で言って「ブス」なのだ。
そんなひとはを見て、レイナは時々意地悪なことを言ってくる。さっきだって平野がじょうぎを取り上げていた時に注意すればいいものを、その時は言わなかった。
「服だってパッとしないし」
そう言ったのはレイナの近くにいたかれんだ。彼女は黒髪ロングストレートでレイナと同じぐらい背が高く、鼻も高い美人だ。
「もぉー、二人とも言いすぎぃ」
そう言ってレイナとかれんをなだめたのは葵だ。ひとはと同じ「ショートボブ」だが美容室に通っているのが見てわかるぐらいおしゃれな髪型だ。目鼻立ちも整っており、多分この教室の中で一番可愛い。
「榊原さんはそれを選んだんだからそれがいいんだよぉ。個性ってやつ?」
ひとははひざに乗せたこぶしを黙ってぐっと握りしめる。
わたしが幼稚園から小学校二年生ぐらいまでの間、女の子のあいだで「プリティウィッチ」というテレビアニメが大人気だった。
赤、ピンク、黄色、水色、緑のカラーを持つ5人組の女の子が変身して戦う、よくある女児向けアニメだ。
わたしは放送当時からそれを見ていて、プリティウィッチのことは誰よりも好きで、誰よりも詳しくて、誰よりもグッズを持っていた。
ペンケースも定規もかばんもくつもそのプリントが入っていて、それを持ってない子に「いいなぁ」と言われるのがじまんだった。
でもある日、事件は起こった。
それはわたしが小学二年生の時、葵が「プリティウィッチごっこしよー」と言った時から始まった。
その時はまだレイナとカレンは違うクラスで、クラスの女の子たちはグループも関係なく誰とでも遊んでいた。
教室で葵のその言葉を聞いたとき、わたしは真っ先に「わたしも入れて」と言った。
わたしはプリティウィッチのリーダーで赤色の、ローズウィッチになりたかった。
でもリーダーなんてふさわしくないと自分でも分かってたから、たとえそれを他の子に取られても、5人のプリティウィッチの誰かなら誰でもいいやと思ってた。
それなのに。
「ええーだめだよひとはちゃん。ひとはちゃんは、プリティウィッチになれないよ」
葵がそう言った。
「え……なんで?」
わたしは戸惑って、そう聞いた。
「だってひとはちゃん、可愛くないもん」
衝撃だった。
しばらく葵の言ったことが理解できず、ショックで立ち尽くしていると、葵が続けた。
「だって、プリティウィッチに変身する子は、変身する前もみんな可愛いじゃん」
そして葵は他の子たちの方を振り向き、
「だから今日はかわいい子たちだけでやろっ。美咲ちゃん、ことはちゃん、天音ちゃん、よしみちゃん、行こ」
そう言って葵はクラスでも自分の次ぐらいにかわいい子たちを連れて、教室を出た。
わたしは一人で教室に立ちつくすことしかできなかった。
その様子を見ていた教室の他の子たちが気をつかうようにチラチラと見ていた。
わたしは、可愛くない。
そして、プリティウィッチにはなれない。
ダブルショックで、わたしのほおに涙が伝わった。
「そういえば、三年生の時プリティウィッチの筆箱だったよね。あれどうしたの?」
葵がひとはの心の中をのぞいているかのように言ってくる。本当に嫌なやつ、とひとははくちびるのはしをかんだ。
何も言わないひとはにレイナが言葉を浴びせる。
「まあ、四年生にもなってプリティウィッチの筆箱持たないよね。ダサいし」
そうだ。
わたしはもうそんなアニメ見る年頃じゃない。だから筆箱もかばんもくつも全部変えたんだ。
「帰りの時間を始めますよ。小宮山さんたち、席について」
「はあい」
四年二組の担任の寺坂先生が葵たちに注意し、葵とかれんは席に戻っていった。
ひとはがくつ箱でくつをはきかえていると、男子の方のくつ箱の近くにさっきの平野たちがいた。
「おい小谷、おまえの上ぐつなんでそんなに汚いんだよ」
横を見ると、平野を含む三人の男子生徒がくつ箱を背にした小谷くんを取り囲んでいた。
小谷くんは背が低く顔も地味で勉強のできない、いわゆるいじめられっ子だ。
小谷くんの上ぐつを見ると、よく洗っていないのか確かに汚れている。
「お前んちゲームもないんだって。ダッサ」
そう言って三人の中で一番背の高い広原があざけるように笑った。
「おい、なんとか言えよ」
広原は小谷くんの肩を押し、よろけた彼は後ろのくつ箱にぶつかった。
ひとはは何か言うべきかと思い口を開けたが、言葉が出てこず見ていることしかできなかった。
「何見てんだよ榊原」
広原がひとはに気づいてそっちをにらんだ。
「あっ、なーに?もしかしてお前小谷のこと好きなのかー?」
平野がでたらめとしか思えないことをいきなり言ってきた。
そして、小谷くんをひっぱりひとはの方に突き飛ばしてきた。
「ほーら、お似合いカップルー」
わたしは突き飛ばされてきた小谷くんにぶつかった。
小谷くんは相変わらずの大人しい顔で困ったようにひとはを一瞬見た後目を泳がせた。
「おい、やめろよお前ら」
そのタイミングで、廊下から同じクラスで女子に人気のある羽鳥くんがやってきた。
「なんだよ羽鳥」
広原は羽鳥くんをじろっとにらんだ。
「つかさは家庭環境が大変なんだ。それをからかうの、良くないと思うけど」
そう言って羽鳥くんは小谷くんを立たせ直して肩についたほこりをはらい、私の方を見た。
「榊原も、大丈夫?」
羽鳥くんの澄んだ目で見つめられ、ひとははドキッとした。こんなに近いきょりで顔を見たことがなかったけれど、やっぱりかっこいい。
「帰ろう。つかさ、榊原」
そう言って羽鳥くんは小谷くんの手を引き、さっそうとくつ箱を通りすぎていった。
ひとははあわててそのあとを追い、くつ箱から出た。
「いっけめーん」
平野のからかう声と広原のふきげんそうな舌打ちが聞こえた。
「あの……ありがとう、羽鳥くん」
ひとははびっくりして横を見た。小谷くんがしゃべったところを初めて聞いたからだ。
「あんなのなんでもないよ。それよりつかさ、お前ももう少し自己主張しろよ。いやならいやだってはっきり言った方がいいだろ」
羽鳥くんもけっこうきついな……とひとはは意外な一面を知った。
「うん……」
小谷くんは一応うなずくもあいまいな返事をし、それを見た羽鳥くんは小さくため息をついた。
「……えっと、私もありがとう」
ひとははあわててお礼を言った。自分よりも大人しい小谷くんに先にお礼を言われて、なんだか自分の立場がせまく感じたのだ。
「……ヒーローみたいだね」
小谷くんがそう言って、羽鳥くんを見た。意外にしゃべるんだ、とわたしはまたびっくりした。
「ヒーロー?よせよ。オレは普通のことをしただけだよ」
羽鳥くんは別に嬉しがる様子もなく冷めた声で言った。
「ねえあれ、羽鳥くんじゃない?」
校庭の遊具の辺りでレイナの声が聞こえた。そちらを見ると、葵とかれんを含めた三人がこっちを見ていた。
「羽鳥くーん」
葵が手を振った。羽鳥くんはそれに気づいて軽く振り返す。
「なんで榊原さんと一緒にいるの?」
かれんは理解できない、という表情でつぶやき、ひとはをじろっとにらんだ。
「ねえ羽鳥くん、あそぼーよ」
葵が遊具から降りて近づいてきた。小谷くんはどうすればいいか分からずおろおろしている。
「……じゃあね」
ひとはは羽鳥くんに軽く手を上げると、そそくさと校庭の門をくぐった。
「プリティウィッチ・まじっくあーっぷ‼」
ひとはが校門から出ると、小学二年生ぐらいの女の子たちが四人ではしゃいでいた。
折りたたみ傘をロッドに見立てて、一人の女の子が変身後のポーズをとっていた。
プリティウィッチはひとはが四歳の頃からずっと放映しており、今年でもう七年目になる。
二、三年続いた後シリーズが変わり、今のシリーズは二年目だ。
プリティウィッチは幼稚園から小学生低学年までの子たちに人気がある。おませな女の子は幼稚園を卒業すると「もう見ない」と言い出したりもするが、それでも絶大な人気があった。子どもを持つママ、大人の男性にも評価が高いのだ。
さすがに中学年になるとほとんどの子たちは見なくなるが、それでもひとははずっと好きだった。だから三年生でも筆箱だけはずっとそれだった。
それでもやっぱりまわりの子たちが持たなくなると、自分だけそれなのが恥ずかしくて、三年生の二学期の時に筆箱を変えた。何のプリントもない、デニムの無地の筆箱に。
「……うっ」
女の子たちを見ていたら、なぜか急に涙がこみあげてきて、ひとはは隠れるように帰る方向へ走った。
ひとはは、家の近くのあまり同じ小学校の生徒が来ない公園でブランコに腰かけていた。
ポケットからブローチを取り出し、右手の手のひらに乗せて眺めた。バラの真ん中にルビーのような赤い宝石がついた、手のひらサイズのブローチだ。ローズウィッチが変身する時に使うもので、ひとはが初めておこづかいを出して買ったものだ。今まで買ってもらったグッズはすべて捨てたが、これだけはずっと持っていた。
でももう、こんなもの必要ない。
だってわたしは、どんなにがんばったってプリティウィッチにはなれないから。
小学四年生になればもうわかる。自分は変身なんてできないことを。
まわりのみんなだって、そんな子ども向けアニメなんか、見向きもしなくなる。
それでも。
自分がキラキラ輝く光に包まれて、変身するところを、何度も想像した。
変身した後、自由自在に空を飛び回って、敵を蹴りで倒すところを、何度も想像した。
そんな痛いわたし。
わたしは、一生変身なんかできない。
だって私は、ブスだから。
ひとはは右手で近くにあったとがった石をつかみ、左手でブローチを地面にたたきつけて石を振り上げた。
「うぁあぁあああ‼」
「何してるの」
凛とした声にハッとさせられ手を止めて上を見上げると、黒髪をポニーテールにしばったきれいな女の子がいた。
ひとはは石を持った手を上に持ち上げたまま震わせると、両目から涙がこぼれほっぺたに伝わった。そこで自分が泣いていることに初めて気がついた。
「それ、大事なものなんじゃないの?」
ひとはは石をゆっくり降ろすと、涙を地面にポタポタと落としながら静かに置いた。
「だめだよ……大切にしなきゃ」
そう言って女の子はポシェットからハンカチを取り出すと、ひとはに差し出した。花がらのししゅうが入った、その子が持つにふさわしいきれいなハンカチだと思った。
「ありがとう……でも、悪いよ、こんなきれいなハンカチ」
「いいの」
そう言って彼女は受け取らないひとはのほっべたを優しくふいた。
「あっ、自分でふくよ」
ひとはは恥ずかしくなりあわててハンカチを受け取った。
あらためて見ると、彼女はとても可愛かった。百四十センチだいのひとはよりだいぶ背が高く、高い位置で結んだポニーテールは背中まで届き、すごくサラサラだ。肌の色も白くすべすべで、血色もいい。青いワンピースに白いカーディガンをはおり、黒いレギンスをはいていた。大人っぽいが、自分とは年は一つ上か、そう変わらないのではないのかなと思った。
「隣、座っていいかな」
そう言って彼女は、背おっていた赤いランドセルを近くにある木の根元に置き、ひとはの左どなりのブランコにこしかけた。
こんな可愛い子に好意的に話しかけられるのは初めてだったので、ひとはは内心ドキドキしていた。
「名前は?」
女の子が聞いてきた。
「えっと……ひとは、です」
「かわいい名前だね。わたしは、紅」
そう言って紅はブランコをキィキィと揺らした。
「紅ちゃんかぁ。なんか、ぴったりだね」
「そう?」
「うん。美少女ってかんじ」
「そんな、ほめても何も出ないよ」
紅は照れくさそうに目を細めて笑った。そして一呼吸おくと、
「実はね、私もプリティウィッチ好きなんだ」と切り出した。
ひとははびっくりして紅の顔を見た。
「えっ⁉」
「ひとはちゃんが割ろうとしたの、それ、ローズウィッチの変身ブローチでしょ?」
「そ、そうだけど……」
ひとははとまどいと驚きをあらわしたが、紅がプリティウィッチを好きだということを聞いてうれしさも隠せなかった。
アイドルやファッションに興味がある小学四年生で、プリティウィッチを好きな人が他にまだいたなんて。しかもこんな美少女がそれを好きなんてもう好感度MAXでしかない。
「だからね、それを壊そうとしてるの見てすごく悲しかったんだ」
ひとはは紅の顔を見て、ハッとして表情が元に戻った。
「……ごめん」
ひとはの口から自然に言葉がこぼれた。
「ねえ、何があったのか教えてくれない?」
ひとははくちびるをかみしめてブランコのくさりをにぎった。
「……話したくないなら、無理に話さなくてもいいよ」
その優しい声とまなざしに、ひとはは紅になら話してもいいかなと思った。
「……実は……小二の時に……」
ひとはが話し終えると、紅はくもった顔でこちらを見ていた。
「ひどいね、その子」
「うん、でも……じっさいにそうだし。かわいくない子は変身できないんだよ」
「そんなことないよ‼」
そう言って紅はブランコから立ち上がった。ひとははびっくりして、目を開いて紅を見た。
「あのね、これ」
紅はワンピースのポケットからひとはの持っているブローチと同じものを取り出した。
「見てて、ひとはちゃん」
そう言って紅は足を開いてしっかりと地面につけ、右手にブローチを持ってポーズをとった。
「エスゼティック・トランスフォーム‼」
紅が叫ぶと同時に、紅の体がまぶしいぐらいに白い光を放った。
「きゃ……!」
ひとはが目をつぶり、再び開けた時、そこには赤色が目立つコスチュームを着た紅が立っていた。ポニーテールの髪はほどかれ綺麗なロングストレートになり、黒地に赤いラインの入ったえり付きのシャツにネクタイ、金のラインの入った赤いベストは長くのび、うすいピンク色の短いフレアスカートをはき、赤いロングブーツはハイヒールでベストと同じ金色のラインが入っていた。
「う、うそ……」
ひとははポカンと口を開け、目を見開いて紅を見ていた。
「ひとはちゃんもやってみて」
そう言って紅はひとはのブローチを指差した。
「えっ⁉む、むりだよ‼」
「大丈夫」
紅はひとはの両うでを強くにぎった。
「ひとはちゃんには素質があるから」
「え⁉そんな、ないよ……そんな素質」
「あるよ。魔法少女には、顔の可愛い子がなるんじゃない。心のきれいな人がなるんだよ」
そう言われてひとははハッとした。そういえばローズウィッチのあいぼう、レドリーもそんなことを言っていたのを思い出した。
「わ、わたしに、できるかな⁉」
「絶対できるよ!自分を信じて‼」
ひとはは右手に持ったブローチを見て強くにぎった。
「好きなかけ声を叫べばいいの。なりたい姿をイメージして」
「わ、わかった。やってみる」
ひとはは大きく息を吸い込むと、ローズウィッチのコスチュームをイメージして両足を開いてしっかり地面につけた。
「プリティウィッチ・マジックアップ‼」
ひとはの体の中心が光り輝き、たくさんの小さな星がひとはを包み込み、つま先、足、どう体、胸、腕、手先、顔、髪の毛が変わる――ところを想像した。
「あ、れ……?」
何も起こらない。
「マジックアップ‼」
再びかけ声を唱えたが、体には何の異変もない。
「なんで……」
「あ――っはっはっは‼」
ポーズをとっているひとはのかたわらで、紅がお腹を押さえて笑っていた。
「だから言ったろ!ブスは変身できないんだって!お前みたいな奴がなれるわけないじゃない‼」
ひとははショックで目の前が真っ暗になった。
「な、んで……」
「マジックアップだってぇー‼ひくわー‼ダッサ‼」
ひとはの目から大量の涙がこぼれ落ち、そのままひざをついて地面にくずれ落ちた。
それを見た紅は、顔をゆがませて笑い、先ほどの優しい声とはうってかわった低く冷たい声で言い放った。
「わたしはエスゼティック・スカーレット。プライドを持った美形たちによる組織の一員よ」
紅はそう言ったあとひとはの胸の中心辺りを見た。さっきまで虹色に輝いていた宝石が黒く浸食されていくのが紅の目には見えた。
「だから言ったでしょ。可愛い者、美しい者にしか変身少女になる資格はないの」
「そんな……」
ひとはの心に、悲しみと憎しみがうずをまく。ついさっきまであんなに優しくしてくれた紅が、なぜこんなことをするのかわけが分からなかった。
「ひ……どい……よ……」
ひとははせいいっぱいの声をしぼり出して紅に言った。
「自分は心がきれいだからなれるとでも思ったの⁉チョーうけるんですけど‼お前みたいなブス、一生変身なんかできねぇーよ‼」
「ひどいよ――‼」
紅だけに見える、ひとはの心の宝石が真っ黒にそまった時、紅はそれをひとはの胸から抜き取った。
「もーらい」
とたんにひとはは感情が抜け、意識が飛んだようにその場にうつろな目をして倒れた。
「んー、やっぱりこっちの黒いの方が好み♪」
紅は黒く光る宝石をつまみ持って上へかかげた。
「返せ」
紅のいる左上、公園に植えられてある木の上から声が聞こえた。紅がそちらを見上げると、金色のししゅうがほどこされた白をメインとした衣装にマントをつけ、銀色の剣を持っている少年が高い木の枝に立っていた。おおよそ十三歳ぐらいに見える。
「あー?何アンタ」
「それはお前が勝手に抜き取っていいものじゃない。返せ」
「アンタは誰だって聞いてんのよ‼質問に答えなさいよ‼」
「お前の敵だよ」
少年は剣を振り上げて木の枝から飛んだ。
紅は、スカートのポケットから取り出した赤黒いバラのブローチを、先っぽに赤い宝石のついたロッドに変形させ、降りかかってくる剣を防いだ。強い衝撃と閃光が紅の斜め上に飛ぶ。
「あ、危ないじゃないの‼」
少年は剣をようしゃなく紅のロッドに打ちつける。
もうろうとした意識の中で、ひとははうっすらと開けた目で二人を見ていた。
誰かが戦ってる……。一体、誰……?
私は、どうなってしまったの……。
五回目の衝撃で、紅のロッドにひびが入る。
焦りを覚えた紅は剣がはなれるタイミングを見はからって後ろへ逃げた。
「心の宝石を返せ」
「あ、あんた……何者⁉」
紅はあとずさり、背中が公園を囲むフェンスに当たった。ガシャン、と言う音が公園内に響く。
少年は剣の先を紅に向け、静かに、だが強くはっきりした声で言った。
「オレはコンバトラー・ジャスティス。お前らエスゼティックを成敗し、人の心の宝石を守るために現れた戦士だ」
そう言うと少年は剣の先たんを紅のひたいすれすれのところまで近づけた。
「さっきあの子から取った宝石をオレにわたせ」
「な、なにそれ……知らない」
とぼける紅に、ジャスティスは切っ先をひたいに当てた。紅の、前髪で隠れた額から血が出る。
「へえ。じゃあ、どうなってもいいんだな」
「わ、わかったわよ‼」
そう言って紅は黒い宝石をジャスティスに投げた。
ジャスティスは左手を動かしてそれを受け取ると、剣を下ろした。
紅はあわてて背を向けると、公園から走り去った。
ジャスティスは宝石を持ってひとはの前に行き、座った。
「プリファイ・プリズム」
そうとなえるとジャスティスは両手から光を出し、浮かせた黒い宝石に両がわから当てた。真っ黒だった宝石の黒い部分がだんだんと消え、元の虹色に戻っていった。
ジャスティスはそれをつかむとひとはの肩を持ち上半身を起こし、胸の中心に宝石を当てた。宝石は虹色に輝いたままひとはの中へ入っていった。
「あ……」
ひとはの感情が戻り、意識が戻った。
つい今しがた心を戻されたはずなのに、ひとはは目の前にいる少年に心を奪われた。切れ長の目は青く、髪は銀色でサラサラだ。鼻筋は通っていて口も真っすぐで、誰がどこをどう見ても美少年だった。じっと見つめられ、ひとははただごとではないほど胸がドキドキした。
「大丈夫?」
少年の口からこぼれたのはさわやかで優しい声だった。姿だけでなく声までイケメンだ。
「あ、あの」
あなたは一体誰ですか、と言いたかったが、緊張と心臓の高鳴りのせいで言葉が出てこなかった。それを察したのか、少年は優しくほほ笑むとひとはから少し顔を遠ざけた。
「僕はコンバトラー・ジャスティス。君はジュエルハートを黒く染められて取られた。それを僕が元に戻したわけ」
「ジュエル……ハート?」
ひとははおぼつかない口でジャスティスに尋ねた。
「君が生まれた時から持っている『心』を宝石にしたものだ。感情で濁ったり輝いたりする。さっき君を襲った女にはそれを取り出すことができる。僕はそれを取られた人々に戻す役目をおっているんだ」
「あの子は……なんでそれを抜き取っているの?」
「……僕にも分からない。ただ、それを取られれば心を失うことは確かだ」
ひとはは胸の辺りをさすった。さっき紅にひどく言われたことが思い出され、ひとはは悲しくて目がにじんだ。
「……ちょっとにごったね」
ひとはは少し驚いてジャスティスを見た。
「あなたにも分かるの?」
ジャスティスはうなずくと顔を真顔に戻した。その表情を見た時、ひとはの頭の片すみに何かがよぎった。
(誰かに似てる……?)
「あなたは……」
ジャスティスはもう一度笑うと、すっと立ち上がった。
「じゃあね」
ジャスティスは背中を向けて、空を飛びあがり、公園の入口にある木の柱に片足を乗せて飛び上がったかと思えば、遠くの彼方に消えていった。
次の日、ひとはは朝からボーッとしていた。
昨日の「ジャスティス」のことが頭からはなれなくて、通学とちゅうにも「また会えないかな」と道ばた、電柱の上、遠くの空を見上げてキョロキョロして、あやうく遅刻しそうになった。
「おはよう、ひとはちゃん」
ひとははくつ箱から廊下に出ようとした時、後ろから声をかけられた。ランドセルに四つ葉のクローバーのキーホルダーをぶらさげた、栗色の髪の毛がウェーブがかったロングヘアの少女だ。
「あっ、おはよう、よつばちゃん」
よつばはクラスの中でひとはの唯一の友達だ。彼女もプリティウィッチが好きで、特に緑色のクローバーウィッチが好きなのだ。クローバーウィッチは明るい緑色のウェーブがかったロングヘアなので、よつばもそれをまねして同じ髪形にしている。
彼女は「流行にびんかん」な女の子ではなく、ひとはと同じでおとなしく目立たない。図書館で静かに本を読んでいたり、教室のすみで一人で絵を描いているような女の子だ。
「やっべー遊びすぎた!」
その時、後ろからバタバタと男子が四人ほどくつ箱に入ってくるのが見えた。男子たちはあわててくつを上ぐつにはきかえると、ひとはたちの横を通り抜けていった。
「こーき、はやと、待てよ!」
先に走っていった二人の男子をつづいて三人目の男子が追いかけ、四人目の男子もひとはの横を通り過ぎていこうとした、その時だった。
(あ……!)
四人目の男子は羽鳥くんだった。ふいに振り返った彼と目が合い、ひとはは無意識に固まる。
「榊原たち、授業遅れるぞ」
ひとははその時、なぜか昨日の出来事が頭によぎった。
(似てる……‼)
間違いない。昨日「ジャスティス」が誰かに似てると思ったのは、気のせいじゃない。
目も髪の色も違うけれど、りんかくや顔つきがそっくりだ。
普段羽鳥くんの顔をまじまじと見たことがなかったから気づかなかったが、間違いなく彼に似てるんだ。
「ま、待って!羽鳥くん‼」
羽鳥くんはびっくりした顔でひとはを見たまま足を止めた。
「な、何?」
「あ、いや……何でもない」
ひとはは反射的にそう言ってしまった。もうすぐチャイムが鳴りそうだし、よつばがいる前で「昨日のコンバトラー・ジャスティスは羽鳥くん?」なんて聞けない。
朝のホームルームが始まるチャイムが鳴り始めた。
「ああー‼榊原、美森、急げ‼」
三人はあわてて階段を上がっていった。
教室に入る寸前でチャイムが鳴り終えた。ひとは、よつば、羽鳥くんが急いで入ろうとした時、向かいのろうかから寺坂先生が歩いてきて、三人を見て眉をしかめた。
「こら、今あなたたち、走ってきたでしょ⁉ちこくはいけないけど、ろうかを走るのはもっとだめよ。危ないから」
「すみません!」
羽鳥くんがさわやかな声であやまり、教室のすみできゃあっと言う声がひかえめに聞こえた。
ひとはとよつばも小さな声で「すみません」とあやまり、頭を下げる。
「今回は見逃すから、早く席について」
三人はそれぞれ自分の席に着いた。ろうか側の前から三番目の机にひとははかばんを下げて座った。
授業中や休み時間、ひとはは羽鳥くんが視界に入るたび、周りに気づかれないように見ていた。
(……どうしよう、昨日のこと聞いてみるチャンスがないな。呼び出したりなんかしたら葵たちが見るだろうし……)
放課後になっても、ひとはは羽鳥くんを盗み見しながら、あんまり見てると本人にバレるなと思いつつも視線を外せないでいた。
「榊原?」
後ろから声をかけられ、ひとははびくっとして肩を揺らした。
「お前、何羽鳥のことチラチラ見てんの」
振り向いた先には平野がいやしい目で笑いながら立っていた。
「べ、べつに……」
「あ、お前もしかして羽鳥のこと好きなの⁉」
大きな声でそう言われ、教室全体がざわついた。
ほんとにこの平野はデリカシーがなくてバカで嫌いだ。言うことがいっつもいっしょ。
「なー榊原ぁ、お前つり合いってのを考えたことあるー?」
まだ何も言っていないのに、平野はにくたらしい顔でひとはを小ばかにする。
かれんは顔をひきつらせて笑い、葵に何か耳打ちしている。
「おい、やめろ平野」
羽鳥くんのよく通るはっきりした声が響く。声はそれほど大きくはなかったが、教室は静かになった。
「羽鳥、こいつお前のこと好きらしいぜ。どう思う?」
「別に羽鳥くんなんか好きじゃない」とひとはが言おうとした時、羽鳥くんが言った。
「別に誰が誰を好きだろうと勝手だろ」
えっ……、と、ひとはの顔が赤くなった。
「えっ……?じゃあお前、こいつに告白されたらどうすんの?」
「素直に受け取るよ」
教室のすみで女子の悲鳴が聞こえた。
ひとははその場にいられなくなり、顔を赤くしたままかばんを持って教室を走り出た。
なんで、なんで、なんで⁉
なんであんなこと言うの⁉みんなが見てる前で‼
もしかして……
羽鳥くん、私のこと好きなの?
ひとははかばんを持ったまま一階に降りて職員室用の玄関の辺りまで来た。
(……そんなわけ、ない)
ひとははバクバクしている心臓を左手で押さえながら、誰も見ていないのを確認して深呼吸した。
(……私はブスだし、根暗だし、おしゃれじゃないし)
私なんかを、羽鳥くんが好きなわけが。
『誰が誰を好きだろうと勝手だろ』
『素直に受け取るよ』
さっきの羽鳥くんの声が、頭の中で再生された。
……こんな私でも……。
期待していいの?
「あ、榊原さん」
職員室のドアがいきなり開き、ひとははびっくりしてかばんを取り落としそうになった。
そちらを見ると、寺坂先生がお花を入れたかびんを持ったまま立っていた。
「ちょうど良かった。これ、教室に持って行ってくれる?」
ひとはは今度は顔が青くなった。このタイミングで教室なんか絶対戻れない。
「あ、あの、おなかが痛いんで!」
そう言ってひとはは走ってくつ箱近くのトイレがある方向へ走った。
「こら、ろうかは走らない!」
ひとははトイレに誰もいないのを確認して逃げ込むと一息ついた。洗面所の鏡に自分の顔が映り、ひとはは嫌悪感で眉をしかめた。
(やだ……こんな時に鏡なんか見たくない)
細い一重の目に茶色いそばかす、あか抜けない黒髪のおかっぱは戦時中の少女みたいだ。髪も安いシャンプーしか使わないせいで大分痛んでおり枝毛だらけだ。
ひとはは帰ろうとくつ箱へ向かい、自分のくつの場所のふたを開けた。
(え……)
そこで、ひとはは信じられない光景を目にした。
ひとはがいつもはいているお気に入りのピンクの運動ぐつが、泥まみれだった。
(何……これ……)
くつだけではなく、白い板ばりの上、下、横のかべまでもが泥で汚れていた。
「どうしたの、ひとはちゃん?」
優しい声が背中の方から聞こえ、振り向くと、そこには――
葵が立っていた。
ひとはは黙ったまま、ひきつった顔で葵を見た。葵は優しく笑っていたが、目を開けると鋭いまなざしでひとはをとらえるように見つめ続けた。
「ひどいよねぇ。誰がこんなことしたんだろうね?」
ひとはは誰がやったか分からなかったが、今の状況からして大体見当はつく。
「でもさぁ」
葵は口もとは笑ったまま、ぎらつかせた目をひとはに向けて一歩近づく。
「悪いのは榊原さんだよね。だってみんなの羽鳥くんに、あんなこと言わせるんだもん。誰にうらまれたって仕方ないよね」
ひとはは歯を食いしばって葵をにらんだ。
「何?その顔」
葵は笑顔を消し、バコン‼と音を立ててひとはのくつばこのふたを閉めるように手を当てた。葵の腕がひとはの顔の真横の位置に来て、びっくりして怖かったが、なんとか感情をこらえて口もとを結び葵の首もとを見ていた。
「羽鳥くんがあんたなんかを好きになるわけないじゃん」
葵は普段からは想像もできないほど低く静かな声を出した。
「……くつを泥だらけにしたの、小宮山さんでしょ」
葵はくつ箱のふたから手を放し、目を開かせてひとはを見たが、すぐに小ばかにしたような笑顔に変わった。
「え~?ちがうよ。なんでそんなこと言うの?人をうたがうの、良くないよぉ」
葵がいつものようにかわい子ぶった声でおだやかに言った。
「明日あたし、羽鳥くんに告白しようかなぁ」
ひとはの眉がぴくっと動いた。
「ねえ、羽鳥くんはさ、あんたとあたし、告白されたらどっちが嬉しいかなぁ?」
そんなの決まってる。
葵はクラスの中で一番可愛い。成績もかなりいいし、表は優しい「いい子」で通ってる。
クラスで一番かっこいい羽鳥くんとつり合うのは、どう考えても葵だ。
なんで。
そこで「それは自分だ」と言えないことが、ものすごく悔しかった。
別に羽鳥くんなんて好きじゃないのに、ものすごく悔しかった。
ひとはの目から涙がこぼれ落ち、両ほほに伝わった。
「あれ?泣いちゃった?ごめんね?」
ひとはは泥だらけのくつを左手で取ると、葵を払いのけて上ぐつのままくつ箱から走り去った。
他の生徒に見られながら、泥だらけのくつを持って裏門から出ると、ひとはは昨日の公園へ行った。くつを洗う場所がそこしか思いつかなかったのだ。
砂場から少しはなれた水道の下にくつを置き、ひとははじゃぐちをひねった。
水がいきおい良くくつに当たり、水がはね返って顔に当たった。
(……そうだ)
ひとははゾッとした。こんなところに長居してはいけない。
また昨日の黒髪の女の子、エスゼティック・スカーレットが現れるかもしれない。
そしてまた心を抜かれ、黒く染め上げられて、意識を失い――
ひとはは急に不安になり、急いでくつを水で洗いながら泥を落とした。
「見つけた」
ひとははビクッとして汚れの取れたくつをにぎりしめて声のした方を見た。
しかし、そこには誰もいない。
おかしいな……と、じゃぐちをとめて辺りを見回すと、公園の中のマンホールのふたがガタガタッと揺れ、いきおいよく上に吹っ飛んだかと思うと何かが飛び出してきた。
「きゃあ――⁉」
マンホールの中から、全身泥まみれのテンのような小動物が現れ、ひとはの前に降り立った。
「はぁー、くっせぇー‼暗いしせまいし暑いしで、もーさんざんだったぜ‼」
「しゃ、しゃべった⁉」
「おぉ、ちょうどそこに水道あんじゃん。ちょっと体洗わせてくれよ」
そう言うと黒っぽいテン(?)はぴょんぴょんとひとはのいる水道の方まで飛ぶと、蛇口の下に来た。
ひとははこしが抜けて、へたりこむと後ずさった。
「なあ、じゃぐちひねってくれね?オレ手が届かなくて」
「……」
ひとはが何も言えず呆然と固まっていると、テンはめんどくさそうに頭をかいた。
「あーもう」
そしてぴょーんっとジャンプをし水道に飛び乗り、器用にじゃぐちをひねり、水を出した後、下に降りて浴びた。
「生き返るわー」
ひとははくつとかばんをつかみ、何も見なかったことにして公園を立ち去ろうとした。
「待てよ」
テンは体を洗い終えると、再び蛇口に飛び乗りキュッとしめるとひとはの後ろにジャンプした。
「お前に用があるんだよ」
ひとははこわごわと振り向いた。汚れを落としたその小動物は四つんばいでこちらを見ている。
真っ白で、ややつり上がった目はつぶらで、鼻も小さく口もともしまっている。
「お前、コンプリティにならないか?」
「え……?」
ひとははわけが分からないという顔でテンを見た。
「オレはテンテン。コンプリティの使者だ」
そう言うとテンは短い手をポン、と胸に当てた。
「お前の夢を叶えてやるよ」
テンテンはニッと男前に笑った。その表情に、ひとはは人間でもない相手にドキッとした。
「魔法少女になりたいんだろ?」
そう言ってテンテンはひとはのズボンのポケットを指差した。
「お前の持ってるローズウィッチのブローチで、なりたい姿に変身できる」
ひとははびくっと体をこわばらせた。
「うそ言わないでよ‼そんなわけないじゃない‼あなたまでわたしをだます気⁉」
昨日、黒髪の少女に「心の宝石」をうばわれたことが頭のうらに強くはりついたままなのだ。
「あなた、昨日のエスゼティックとかいうやつの仲間でしょ⁉もうだまされないんだから……‼」
ひとはは足をふるわせ、目の前のテンテンを泣きそうな目でにらみつけた。
「……コンバトラー・ジャスティスに会っただろう」
ひとはのふるえが止まった。
「あいつとオレは仲間だよ」
「……そんなしょうこ、どこにあるの」
「コンプリティに変身できるのは、コンプレックスを強く持った者だけだ。それが変身で解き放たれた時のエネルギーで戦える」
「コンプレックス……?」
「お前にぴったりだろう?頼む、お前しかいないんだ、人々のジュエルハートを守ってくれ‼」
ひとはは昨日のことを再び思い出した。あんなふうに、他の誰かも「心」を抜き取られて感情のないぬけがらのようにされてしまうのだろうか。
言葉をためらったひとはのスキをついて、テンテンは指先から光を出し、ひとはのポケットに魔法をかけた。
「きゃっ⁉」
ひとはのズボンの右ポケットがムクムクとふくらんだ。何か丸いものが入っているような、そんなかんしょくがあった。
ひとはがおそるおそるそれを取り出すと、中からピンク色のコンパクトが出てきた。開けると、上が鏡で、下がアイシャドー・チーク・リップの三つがそろったメイク道具になっていた。ひとははキラキラと輝くそれに目をうばわれていた。
「それを持って、心に浮かんだ言葉を言ってみな」
ひとはが考えなくても、あるフレーズが心の中に浮かんできた。それを言えばいいこともわかっていた。でも。
「……また変身できなかったら、わたし、死んじゃうよ?」
ひとはは泣きそうな顔でテンテンを見た。
「お前ならできる」
テンテンはまっすぐにひとはを見た。
「お前はオレが選んだ女なんだから‼」
ひとはは覚悟を決めてうなずき、コンパクトを胸の前で両手でにぎりしめ、強く目をつぶって叫んだ。
「リリース&チェンジ、コンプリティ‼」
ひとはの体全身が光り、つま先、足、胴体、胸、腕、手先、顔、髪の毛がみるみる変わっていった。――今度こそ、本当に。
サラサラのショートボブは淡いピンク色、頭にはピンクのバラをあしらった小さなリボンがつけられ、レースやフリルをふんだんに使った、ピンク色を基調としたトップスとミニスカート、足は同系色のロングブーツをはいていた。
「鏡を見てみな」
テンテンに言われて、ひとはは持っていたコンパクトを開けて自分を見てみた。黒髪は淡くきれいなピンク色に、肌は健康的な明るさを持ち、目はぱっちりしていてアイシャドーとラメが入っていた。くちびるはピンクのリップが入っておりツヤツヤだ。同じなのは背丈だけで、もうほとんど別人だ。
「……うっ」
ひとはの瞳がにじみ、両目から涙がこぼれた。
コスプレなんかじゃなく、本当に、本当に、念願の魔法少女になれたんだ。
ひとははうれしくて、ぬれた目を手の平でおさえた。
「……泣き虫なやつだな」
テンテンは呆れ顔で笑った。
「で、私のやるべきことは何?なったからには、何か使命があるんでしょ?」
涙をふいたひとはは気持ちを切り替えてテンテンに尋ねた。
「……さすが元魔法少女志望。そうだな、さっきも言った通り使命は『心の宝石』、ジュエルハートを守ることだ。エスゼティックが人間に近づくとコンパクトが反応するから、それをたどって行って、エスゼティックを止めるだけだ」
「……エスゼティックってのは何なの?どこから現れたの?」
「……詳しいことはオレも知らない。ただ『元凶』と『理由』があってジュエルハートを抜いている。……時が来れば分かる、と思う……が」
「ふうん……?」
ひとははよく分からないといった表情で指先をあごに触れた。
「よし、じゃあさっそくパトロールに行って街を守るぞ」
「えっ⁉そんなこともするの⁉」
「今はエスゼティックが少ないからな。何もない時はジャスティスだっていつもそうしてるぞ」
こんな格好で人前に出るなんて、とひとはは少し恥ずかしかったが、プリティウィッチだって似たようなことはやっているし注目も浴びている。そうだよね、私も魔法少女なんだし!とひとはの心に少し期待がわいてきた。
「よし、飛ぶぞ」
「と、飛ぶ?」
テンテンはひとはの肩に乗った。
「地面を軽くけってみろ」
そういえば変身してからなんだか体が軽い。飛べるかも、と自信を感じたひとはは地面を強くけった。
「きゃあぁあ――‼」
一気に雲に近い高さまで飛び上がり、ひとはは恐怖で足をじたばたさせた。
「軽くって言っただろ‼」
「ど、ど、どうすればいいの‼」
こんな高さから落ちたらただではすまない。変身しているから体は無事かもしれないが、それでも怖いし、確実に建物を壊す。
「しょうがねぇ……なっ‼」
テンテンはひとはの肩からはなれると背中から羽を生やし、体を大きく変化させてひとはを上に乗せた。
「わふっ⁉」
テンテンの白くて毛並みの良いすべすべした背中に顔が当たり、ひとははうつぶせになってしがみついたあと顔を上げた。
「お、大きくなれるの⁉」
「あんまり長くはもたないからな。ここぞという時にしか使わねえぞ」
ひとはは下を見た。家々や公園、ビルやアパートなど街並みが見え、一瞬クラッとした。
(高い……)
「街へ降りるぞ」
テンテンは高度を下げ、街の方角へ飛んだ。
「おい、あれ何だ⁉」
「生き物が人を乗せて飛んでるぞ‼」
商店街の方へ近づくと、人々がひとはとテンテンを見て口々に声を上げる。
(うわぁ……注目されてるっ)
学校でも注目されることがほとんどないひとはにとって、これほどしせんを浴びるのは初めてだった。やはり恥ずかしい。
「ひとは、路地裏へおりるぞ」
テンテンはひとはの気持ちを読み取ったのか、人気のないビルの間へ降りた。そしてひとはを降ろすと同時に元の姿へ戻った。
「この辺は事件が多い。特にそうだな、今日は銀行辺りで何か起きそうだ」
「えっ、なんでそんなの分かるの?」
「野生のカンってやつかな」
テンテンが野生かどうかはびみょうだし、そもそもそういう時に使う言葉なのかが少しひっかかったが、それよりもなれない路地裏に連れてこられたせいで落ち着かなさが上回っていた。
「ねえ、明るいところに出ようよ」
「ん?人前にさらされるがいいのか?」
「ここにいるよりマシ!」
テンテンはそれを聞くと「ついてこい」とジェスチャーを示し、ひとはを明るいところに連れ出した。予想どおりそこは人々が買い物などをするために歩いており、ひとはとテンテンが出てくるとすぐに目立った。
「なあに、あの子?コスプレ?」
「めっずらしー、テンがいる!」
買い物中のおばさんと、ひとはより少し年下ぐらいの男の子が最初にひとはたちに注目した。ひとははやはり恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「なあなああの子、すっげー可愛い!」
「ほんとだ!顔赤くしちゃって」
次は高校生ぐらいの男子二人組がひとはを見ていた。そのうちの一人がケータイを取り出し、パシャパシャとひとはを取り始めた。
「て、テンテン、銀行はどっち⁉」
ひとははしゃがんでテンテンに聞いた。テンテンはひとはの肩に乗ると、「あっちだ」と小声でつぶやき南の方角を指し示した。
ひとはは少し気を付けて地面を軽くけった。ひとはの足の速度は風のようになり、人々の目にも止まらぬ速さで商店街をかけめぐった。
「こ、ここでいいの?」
街の銀行の前でひとはは上を見上げた。「江戸川銀行」と、町の名前が入った看板がかかげられている。
銀行の前で立っているひとはは通行人や銀行を行き来する人たちからじろじろと見られていた。
「ねえ、いつ起こ……」
右肩に乗ったテンテンにひとはが話しかけたその直後、ジャキッと言う音がひとはの頭の真後ろから聞こえた。
「おいガキ、邪魔だ、早く中に入れ‼」
ひとはがおそるおそる後ろを振り向くと、そこにはいかつい顔をした四十代ぐらいの男がひとはの頭にライフルを向けていた。
「キャ――‼」
ひとははいきなりの出来事に叫んだ。テンテンはすばやくひとはの肩から離れ、入口のATMの陰に隠れた。
「ちょっと、テンテン⁉」
ひとはは焦りながら小声で言った。男はひとはをぎろりと睨んだ。ひとはは恐怖を感じ、両手を上げながら銀行の中に入った。
中には十人ほどの客と、事務員が三人いた。
「ここにいる全員、手を上げろ‼逆らう奴はぶっ殺す‼」
そう言って男は銃を一発斜め上に撃った。
ドォンと、ライフルをうった音が銀行内にひびきわたり、人々からかん高い悲鳴が聞こえた。
「客は全員ひとかたまりになって、手を後ろに回して正座しろ。それと、お前はこのバッグに札束を五億つめろ。警察に通報したらこの場にいる全員を殺す」
そう言って男は銃を構えたまま受付の女性の前にボストンバッグを置いた。
(ど……どうしよう……)
いくら魔法少女になったって、こんな状況になったことがないひとはは怖かった。
〈ひとは〉
頭の中にテンテンの声が響いた。ひとははびっくりしたが、声は出さなかった。
〈ここはひとまず強盗の言うとおりにしろ。後ろ手を縛られたってお前の力ならほどける。だが撃たれたらただじゃすまない。座って、心が落ち着いたら考えるんだ〉
ひとはは震えながら手を後ろに回して他の客と一緒に座った。
他には主婦らしき五十代の女性や、OL、三十代ぐらいのサラリーマンなどが座っていた。ひとはより年下の子どもはいなかった。
〈今頭の中に話しかけているこれは〝念話〟だ。オレがコンプリティのみに一方的に送れる〉
自分からテンテンには送れないのか、とひとはは少し不便に思った。
「おい‼早くしろよ‼何モタモタしてんだ‼」
どうやら札束を五億つめるのに時間がかかっているようだ。銀行員の三人は慣れない手つきで金庫からお札を出している。
その時、銀行の外から警察の声が聞こえてきた。
「この銀行は包囲されている、犯人は直ちに武器を置いて人質を解放せよ‼」
ひとはが銀行の自動ドアごしに外を見ると、青い服を着た警官が何人か見えた。
その様子を見た強盗は表情を険しく変えた。
「外にいた奴が通報しやがったのか……‼」
警察の声を聞いた従業員三人は、札束を動かしていた手を止める。
「おい‼何してんだ‼さっさと詰めろ‼」
従業員たちは手を再び動かし始めたが、警察が突入してくるのは時間の問題だろう。
「チッ……‼」
すると強盗は、座っている客の中のサラリーマン風のスーツを着た男性を見て言った。
「おい、お前、ちょっと立て」
「え……?」
「来い」
強盗は男性にすごみを聞かせてにらんだ。男性は怖がりながらも立ち、おそるおそる強盗の方へ歩く。
男性がカウンターの近くまで歩いた時、強盗はライフルを男性の左腕に当てて撃った。
パァンッ‼
「うあぁあああっ‼」
男性の腕から血が床に飛び散った。男性は腕を押さえて倒れ込んだ。
座っている他の客から悲鳴が聞こえ、ひとはの視界がぐらっと大きく揺れた。
「おい、警察‼音が聞こえただろう⁉入ってきたらここにいる奴を全員殺すからな‼」
(こ、怖いよ……)
ひとはの目が涙で滲んだ。
いくら魔法少女になったからって、不死身ではないのだ。ライフルで撃たれたら痛いし、最悪の場合死んでしまう。
〈おい、ひとは‼落ち着け‼〉
頭の中でテンテンの声が響くが、ひとはは混乱していて冷静でいられない。
(どうしよう……どうすればいい⁉)
「おい、まだ詰め終わらないのか‼」
「すみません、もう少しで……‼」
なかなか五億円を詰め終わらない従業員に強盗はしびれを切らし、声を荒げる。
「フン……次はお前、来い」
奥にいたスーツ姿のOLらしき女の人に、強盗は声をかけた。女性はびくっと体を動かすと、青白い顔をしてその場で震えていた。
「どうした、早く立て‼」
強盗がさっきのサラリーマンにしたことを思い出せば、次に呼ばれた女性がされることは予想がつく。
ひとは左腕を撃たれた男の人を見た。腕からは血が流れ、出血止めをもすることができない男性は腕を押さえ痛そうにうずくまっていた。
(……駄目)
ひとはは頭の中で呟いた。
「どうした‼立てねえなら無理やりにでも連れていくぞ‼」
強盗はライフルを女性に向け、ひとはたちが固まって座っている方へ近づいた。
「待ってください」
ひとはは震える足で立ち上がった。
「私を人質にしてください」
強盗は振り返り、OLの女性の震えが止まった。
「一人ずつ怪我を負わせるより、一人の命を人質にした方がいいはずです。……わ、私一人を残して、他のお客さんを解放してください」
(これ以上、ケガ人を出すわけにはいかない……)
ひとはは怖かったが、他の人がうたれるよりましだと思った。
「……へえ」
強盗はライフルをおろすと、ひとはの方につかつかと歩いてきた。
「……度胸あるじゃねぇか、コスプレお嬢ちゃん。大したもんだぜ」
そう言うと強盗はひとはの体に腕を回した。
「よく見るとえらい可愛い顔してんなぁ。衣装もそそるし、人質として完璧だぜ」
強盗は片手でぐっとひとはを固定して動けないようにすると、他の座っている客と札束を詰めている銀行員らを見渡した。
「だが、他の奴らを解放してやるわけにはいかねぇ」
強盗はひとはをひきずりながらカウンターの前まで歩いた。
「今からお前を盾にして警察と交渉する。そん時に痛い思いしても悪く思うなよ。お前が人質になるって言い出したんだからな」
(そんな……)
すきをついてどうにかしたかったが、ライフルを体に当てられ、下手に動いたら撃たれかねないという思いがあり動けない。
その時、銀行の自動ドアが機械的な音を立てて開いた。
「なんだ……‼」
強盗はひとはを抱えたまま、おおげさに反応しライフルをドアに向けて振り返った。そこにはテンテンが動物にしか見えないしぐさをしながらのそのそと銀行に入ってくる姿があった。
「なんだこいつ、テンか……?」
「キュー」
テンテンは可愛いしぐさをしながら強盗の足元にすり寄った。
〈今だ、ひとは‼〉
頭の中に声が響き、ひとははハッとして強盗のみぞおちに肘打ちをかました。
「ぐっ……⁉」
強盗はよろめき、そのスキにひとははライフルをふんだくって銀行の窓めがけて放り投げた。
ガッシャ――ン‼
銀行の窓が割れ、ライフルは外に落ちた。
「なっ……てめぇ‼」
激怒した強盗は離れたひとはにつかみかかろうとした。
その時、バリーン‼と、割れた窓ガラスをさらに割って、ジャスティスが入ってきた。
「その子から離れろ‼」
「ジャスティス⁉」
ジャスティスは剣を強盗につきつけ、怒りの形相でにらみつけた。
「な、なんだてめぇ‼」
それを見たテンテンは強盗の片足にガブッとかみついた。
「いってぇ‼」
様子を見ていた警察が四人銀行に侵入し、強盗を取り押さえた。
「現行犯確保‼」
一人の警官が強盗の腕に手錠を通し、テンテンは離れてひとはの所にかけよった。
〈ひとは‼無事か⁉〉
「う、うん……っていうか」
ひとはは割れた窓をさらに突き破って入ってきた少年の方に意識を取られていた。
「無茶しちゃダメじゃないか‼」
ジャスティスはひとはの肩をがしっと掴むと、澄んだ青色の瞳でひとはを見つめた。ひとはの顔が紅色に染まり、心臓の鼓動が早くなった。
「あ、あの、わたしのこと知ってるの?」
「ひとは」としての自分はジャスティスに会っているが、今はいくら背丈が同じでも見た目が全然違う。反応を見るに、自分の正体を知っているのではないかと思ってしまった。
「え、あ……いや」
ジャスティスはひとはから肩をパッと放すと、視線を泳がせた。
「君たち、事情徴収をするから警察署に来てくれないか」
二人の後ろに警察官が一人立っていた。それを見たジャスティスは無言でくるりと警察官とひとはに背を向けると、剣を持って再び飛び上がり、もうほとんどガラスが残ってない窓を通過して去っていった。
「えぇ⁉」
〈あいつ……めんどくさくて逃げたな〉
テンテンはジャスティスに呆れながら動物のふりを続けていた。
「……君たちはなんなんだ⁉」
警察官はさすがに疑ったのか、ひとはとその足元にいるテンテン(と去っていったジャスティス)に向かって尋ねた。
「え、ええと……」
〈何でもいい、何か名前を言え!〉
ひとはの頭の中に言葉が浮かび現れた。
「コンプリティ・ピンキッシュです!」
「こんぷりてぃ・ぴんきっしゅ?」
警察は顔をしかめてに繰り返して聞いた。
ピンキッシュの意味は「桃色の」。ひとはが妄想で魔法少女になったらつけようと思ってノートに書きとめていた言葉だ。
「君だな、強盗を退治したスーパー美少女は‼」
今度はテレビカメラを持った記者が銀行に押し寄せてきた。パシャパシャとシャッターを切られ、ひとははまぶしくて目をつぶった。
「こら‼事情徴収が先だ、取材は後にしろ‼」
別の警察がマスコミを追い出そうとしたが、記者は押さえられながらも言うことを聞かず、ひとははしばらく警察とマスコミから質問攻めにされた。
「つっかれた……」
ひとはは変身を解いた後、湿っぽいスニーカーを持ち、上ぐつのままランドセルを背負って家までの道を歩いた。
もうすっかり日も落ち、オレンジ色の太陽と、紫色の空が混ざり合った夕焼け空が、家々の向こうに見えていた。
「初めての活動はどうだったか?」
道ばたの隣を歩くテンテンがひとはに問いかける。
「心臓止まるかと思ったよ……魔法少女ってあんなことしないといけないんだね」
「なりたい姿ときょういの身体能力を手に入れられる変わりにな」
怖い思いはしたが、コンプリティになれたことは心底嫌ではなかった。変身を解けば自分がコンプリティだとはめったなことではばれないと思うし、変身後の動きも勇気さえあればピンチもなんとか脱せれる気がする。
「ところで、ジャスティスのことなんだけど、あの人は何者なの?」
ひとははストレートに聞いたが、テンテンは表情を変えずトコトコと歩いている。
「……それは本人からお前に言うなって口止めされてるからな。オレからは言えない。気になるならそいつに聞くんだな」
「えぇ……」
そうこう話しているうちにひとはは家についた。赤茶色の屋根、ベージュ色のかべの一階建てで、小ぶりの鯉がいるこじんまりした池つきの庭の、小さな家だ。
「……テンテンはどうするの?」
「その辺で野宿するさ。これでも狩りとか長けてんだぜ」
ひとははそれを聞いてえっ、と顔を青くした。野ネズミをくわえて走っているテンテンの様子が頭の中に浮かんだ。
「……いるとこ教えてくれたら何か持ってくけど?」
「余計な心配しなくていいんだよ‼最悪またマンホールの中に入るし、次の朝体洗うから!」
そう言うとテンテンはじゃあな、と一言残し去っていった。
残されたひとはの様子を、十けんほど離れた家の屋根の上からそうがんきょうで見ている少年の姿があった。白と黒を基調とした衣装を着ており、黒いマントをはおっている。
「……ふうん、あいつがコンプリティか」
少年はそうがんきょうを外すと、つまらなそうに息を一つ吐いた。その顔はとても美形で、墨のような黒髪と光る黒い瞳が夕闇に混じっていた。
「……ただいま」
ひとはは玄関の扉を開けた。するとすぐに、ひとはと同じ黒髪でショートカットの三十代の女性が出てきた。ひとはの母、葉月だ。
「どうしたの?ずいぶん遅かったけど」
「……えっと、友達と遊んでたんだ」
「そうなの?あんまり遅くならないようにしなさいね」
そう言うと葉月は夕食を作るため台所に戻った。
ひとはは母がいなくなったのを確認すると、ポケットからコンパクトを取り出して見つめた。
(お母さんには言えないよね……)
「ねぇねぇ見てこの新聞‼コスプレ少女が銀行強盗を倒したって!すごいよねー!」
教室は、昨日活躍した「謎の少女」の話題で持ちきりだった。見出しは「正義の乙女、銀行強盗を退治」で、写真を撮られたひとはも載っていた。
「この子の年、うちらと同じぐらいじゃない⁉」
「葵ちゃんよりかわいいよねー‼」
レイナ、葵、かれんは窓際に固まって立っており、話を聞いていたあおいはムッと不機嫌な顔をした。
「別にそこまでじゃなくない?」
ひとははいつものように自分の席に座り、ドキドキと胸を鳴らしながら女子の話を聞いていた。
(ば、ばれないよね……)
「ひとはちゃーん‼」
教室の前からよつばが目を輝かせながら新聞を持ってやってきた。
「見た⁉見た⁉これ!」
「う、うん……」
「すごいよねー、わたしたちと変わらないぐらいの子が。っていうことはさ、わたしたちもこの子みたいになれるかもしれないっていうことだよね!」
「さ、さあ、それはわかんないけど、あはは……」
ひとはは困ったように笑った。
「ね、この子どこに住んでんのかな⁉」
「うちらと同じぐらいの年ってことは、他校の子かなぁ⁉」
女子たちは新聞を取り囲んで盛り上がっている。
ひとはとしては気恥ずかしかったが、くつを泥だらけにされた事件がみんなの記憶からうすれたのはありがたかった。
「正義の乙女とか、バカみたい。プリティウィッチじゃあるまいし」
葵は顔をしかめながら女子たちをじろっと見た。
「じゃーね」
「バイバーイ」
帰り道、道が三またに分かれた所でレイナ、華恋と別れると、葵は週三で通っている街から少し離れた所にある塾に向かった。近くに喫茶店や文具店、小さな公園のあるわずかににぎやかな通りだ。
向かいから、白と青のたてのストライプ柄のシャツを着て黒いジーンズをはいた、葵より少し年上ぐらいの男子小学生が歩いてきた。右肩には黒いショルダーバッグを下げている。
ぴたっ、と男子はあおいの正面に立った。
葵が顔を上げると、深い黒色の髪をした、整った顔立ちの少年と目が合った。瞳は黒く、つぶらだがややつり目だ。
あおいは少年を見て、背も高いし、かなりイケメンだと思った。
「君、どこの学校?」
少年は葵に話しかけた。
「え?」
「いや、すごく可愛いなと思って」
少年はにっこりと笑った。
「ストレートだけど、お茶しない?」
こういうことは何度かあったが、葵は悪い気はしなかった。声をかけられるのはたいていロリコンっぽい男か、自分よりレベルの低い男子だからだ。
だが、今日のこの男子は結構レベルが高そうに見えた。しかし、
「ごめんなさい。いまから塾なの」
と、一応一度は断ることにした。
「塾、何時から?」
男子生徒が聞いてきた。
「五時だけど」
葵は腕時計を見た。四時半だ。
「まだ時間あるね。近くに公園あるし、勉強の前に一息つかない?ジュースでもおごるよ」
少年は親指で児童公園を指した。入り口付近に自動販売機もある。
「……えっと」
「無理にとは言わないけど」
少年は残念そうに笑った。柔らかい口調と物腰に、葵はこの人なら大丈夫かなと思った。ナンパされて付き合うのもありかと思ったのだ。
「じゃあ、塾の時間まで……」
葵と少年は公園のベンチに座り、缶ジュースを飲みながら他愛のない話をした。塾の話、学校の話、友達の話、趣味の話など。
そこであおいは彼とすごく話がしやすいことに気が付いた。頭の回転が速いというか、話をするのが上手いのだ。それにあらゆるところで話が合う。あおいは成績が良かったが、彼も同じレベルぐらいらしく、考え方や趣味も合っている。同じアーティストが好きだと知った時には葵はもう、彼に心を許していた。
「そういえば、名前は?」
あおいは少年に名前を聞いた。
「オレ?オレは小黒マコ。君は?」
「小宮山葵」
「へえー、名前も可愛いね。っていうか、オレこんなに気の合う子と話すの初めてなんだけど」
「私も!」
「ねえ、オレたち付き合わない?」
葵はびっくりしたが、自分も同じことを考えていた最中に言われたので嬉しくなった。
「いいよ!」
「あー……でも、やっぱ無理だ」
「え?何で⁉」
予想もしなかった言葉に、あおいは表情を変える。
「だって君さ、変身ヒロインとか嫌いでしょ?」
唐突に言われ、あおいは困惑する。
「え……?」
「今朝の新聞見ただろ。コンプリティとかいうやつ。俺、あれの類なんだよね」
「は……?」
「エスゼティック・トランスフォーム‼」
ひとははよつばと一緒に駄菓子屋の店の前のいすに腰かけてアイスキャンディーを食べていた。すると、突然脳内にテンテンの声が頭が痛くなるほど大きく響いた。
(ひとは‼エスゼティックが現れた、急いで向かえ‼街の四丁目だ‼)
「きゃあ‼」
ひとははアイスをコンクリートの上に落とし、片手で頭を押さえた。
「ひとはちゃん、大丈夫⁉」
よつばはびっくりしてひとはの方を向いた。
「ご、ごめん……ちょっと頭がキーンとしちゃって」
「アイスで?」
「ごめん、ちょっと急ぎの用事思い出しちゃったから行くね!」
「ええっ⁉」
そう言うとひとはは横に置いていたランドセルをつかみ、落ちたアイスとよつばをその場に残して走っていった。
マコのスニーカーはブーツに、黒いジーンズとシャツは白と黒を基調とした衣装に変わり、肩には黒いマントがバサァッとなびいていた。
「え⁉えっ⁉」
「まぁ、たぐいとは言ったけど、俺はコンプリティとは敵対してんだよね」
葵は何か言おうと口を開いていたが何も言えず、ただ変身したマコを見ていることしかできなかった。
「君は嫌いでしょ?ピンキッシュが」
葵は今朝の新聞に載っていた女の子を思い出した。
「実は俺、君をスカウトしに来たんだ。俺たちのチーム、『エスゼティック』に。君も俺みたいに変身してもっと魅力的にならないか?」
「え……」
「実はさ、俺」
そういってマコは葵に近づいた。
「活動するためのパートナーが必要なんだ。それを君にしたい」
葵はドキッとして頬を赤く染めた。
「それってどういう意味……」
マコは葵に顔を近づけ、唇をふさいだ。
「⁉」
数秒後、マコは葵から顔を離すと、真面目な顔で言った。
「一目惚れだったんだ」
葵は頭から湯気が出るほど真っ赤になった。
「うん、わかっ……」
虹色に輝いている葵のジュエルハートを、マコは手を伸ばして抜いた。
葵は虚ろな目をして背中から仰向けに地面に倒れた。
「ひとは‼ひとは‼」
ひとはが四丁目へ向かって走っている途中、どこからかテンテンが現れた。
「まずい、心の宝石を抜かれた人間がいる」
「えっ、もう⁉」
「とりあえず急いで走れ‼」
「ちょろいな」
マコは虹色に光る宝石を上に掲げると太陽の光に当てた。
「ちょっと、ブラック‼あたし以外の女にキスするなんて、どういうつもり⁉」
紅が空から飛び、マコの隣に着地しながら大声で怒った。
「宝石を輝かせるにはそれが一番手っ取り早かったんだよ」
「ふ~ん」
紅は機嫌の悪そうな低い声で言い、マコをにらみつけた。
「つーかお前、まだ宝石黒くして抜いてんの?虹色の方がきれいなのに。趣味悪いな」
マコが馬鹿にしたように笑いながら紅に言った。
「あっちの方が全然キレイだし」
紅は不服そうな表情で言い返す。
「そこまでだ、エスゼティック‼」
ちょうどひとはとテンテンが児童公園に到着した。ひとはは変身した格好でゼイゼイと息をあえいでいる。
ひとはを見たマコは目を見開き、かかとで地面を蹴ると同時に飛び上がった。
驚く暇もなく、ひとはの前にマコが降り立ち、ひとはのあごを指でつかみ顔を近づけた。
「君、かわいいね」
ひとはは息を切らしているせいもあって、身動きができなかった。何よりマコの闇のような漆黒の瞳が不気味なオーラを放ち、視線に両眼が張り付けられているような感覚におちいっていたのだ。
「何してるんだお前‼」
テンテンが爪を立ててマコに飛びかかった。マコは「おっと」とつぶやき後ろに飛び、華麗にテンテンをかわした。
「こわいなぁ。そんなに怒ることないじゃない」
ひとははふと公園の奥に目をやった。栗色でゆるふわなショートカットの、見覚えのある女の子がベンチにもたれかかって目を閉じていた。
「葵……?」
ひとはは思わず目を見開いた。が、
「きゃあああああ‼」
紅がどこからともなく出した大きな鎌をひとはのいた場所に振り下ろした。ひとはは叫び、とっさによけたが、よろめいて尻もちをついてしまった。
「あんたがコンプリティ?初めて見たわ。ジュエルハートもさほどレアでしょうね、奪いとってあげる‼」
「ごっめんねー、僕は君に危害加えたくないんだけどさ。ジュエルハート集めるのはボスの命令なんでねー」
紅は敵意のこもった表情をひとはに向け、マコはへらへらと笑いながら言った。
「ひ、ひぃいいっ⁉鎌なんて強すぎるよ‼っていうかわたしに武器ないの⁉テンテン‼」
ひとはは地べたで後ずさりしながら、斜め後ろにいるテンテンに助けを求めた。
「コンパクトを開いて、『ブライトアップ』と叫べ‼」
「ブライトアップ‼」
ひとはがコンパクトを開き言われたとおりに叫ぶと、ぴったり閉じた四角い手鏡のようなものが出てきた。
「なにこれ⁉これでどうやって戦えばいいってゆーの⁉」
「ハッ、本人もへなちょこなら武器もしょぼいのね。覚悟しろオラァ‼」
紅が鎌を振り下ろしてきた。ひとはが目をつぶると、鏡が急に盾のように大きくなり鎌をはじき返した。
「なっ⁉」
「へえー」
マコは腕を組みベンチに腰かけたまま感心した。
「な、なに……?これ」
ひとははテンテンに尋ねた。
「お前のコンプレックスに関わるものが武器になったんだ。鏡が嫌いだろ」
確かにひとはは鏡が嫌いだ。朝いつも洗面所に行くたびに憂鬱な気分になる。自分の不細工な顔を見たくなくて。
巨大化した鏡がくるりとひとはの方を向くと、閉じていた鏡の蓋が開きひとはの姿を映し出し、まばゆい光を放った。とたんに体の汚れが消え、肌や瞳、髪もきれいになり外見が輝き出した。
「わっ……」
改めてきれいな外見を認識させられたひとははテンションが上がった。それだけではなく、体の底から力が湧き上がってくるような感覚があった。
「ロッドとかないの⁉」
鏡が光り、先たんにピンク色の宝石がついた金色の杖がひとはの手元にあらわれた。プリティウィッチが持っているものとそっくりだ。
「オプションだ。特別だぞ」テンテンが言った。
「よぉーし、いくよー‼」
ひとははテンションMAXになり、ロッドを握った右手を空に突き上げた。
「まずはスカーレットの鎌を落とせ‼お前の武器がサポートしてくれる!」
ひとはが体勢を整えると、始終を見ていた紅が歯ぎしりしながらこっちをにらんでいた。
「なんなのよあいつら‼都合のいいことばっか起こしちゃってさ‼むっかつく‼」
紅が地面を蹴り、鎌をひとはに振り下ろした。
ガァン‼
再び閉じた鏡が紅の方を向き、攻撃を防いだ。
「あいつのジュエルハートを取り返せ‼浄化して、元に戻すんだ‼」
「えっ……」
ひとはは公園の奥を見た。ベンチにもたれかかって倒れている人物は、どう見ても葵だ。
「何よそ見してんの⁉目の前の相手をちゃんと見なさいよ‼」
紅は容赦なく鎌を鏡に打ちつける。
「……っ」
ひとはは葵を見ながら眉をしかめる。
「どうした⁉ピンキッシュ‼」
「無理だよ……その子は、私にひどいことした子なの‼」
「何……⁉」
「いつも私を下に見てバカにしてくる、大嫌いなクラスメートなんだよ‼」
「……ピンキッシュ」
衝撃で形状が保てなくなり、鏡が消えた。
「……へえ、そうなんだ」
紅がひとはを見て笑った。
「じゃあ、この子のジュエルハートもらってもいいよね。あんたにこの子助ける義理なんてないもんね」
「……っ」
「何考えてんだピンキッシュ‼ジュエルハートを取られれば、一生ぬけがらの体のままなんだぞ‼」
わたしは、わたしが嫌いだ。
「みんな」のジュエルハートを守るためにコンプリティになったのに、一人のクラスメートを見放そうとしている。
なんでよりによって葵なのかな。
これがよつばちゃんとかお母さんだったら、何もためらうことなく助けに行けたのに。
そう考えて、わたしは気づいた。
外見が変わったって、自分は何にも変わっちゃいない。
ただの心が不細工な小学生だ。
「お前は何に憧れて魔法少女になったんだ」
テンテンが問う。
「お前の憧れたローズウィッチは、嫌な奴だったら見放すのかよ‼」
ひとはは瞳孔を開き、手に持ったロッドを見た。ローズウィッチのものとそっくりなロッド。憧れていた魔法少女の姿。「彼女」が私を見たら、どう思うだろう。
それに――
もしこんな姿を、ジャスティスが見たら?
(きっと幻滅する……正義のために戦うジャスティスに、しめしがつかないよ)
「行くよ、マコ」
紅はマコを連れて飛び上がろうとした。
「ピンキッシュ・フラッシュ‼」
ひとはがロッドをかかげて叫ぶと、先たんからまぶしい光が紅とマコめがけて放たれた。
「っ⁉」
紅とマコは目をつぶって止まった。
ひとはは顔をしかめ、歯を食いしばりながら二人を見た。
「行かせない」
ひとははロッドを持った手を震わせ、目をうるませながら立ちはだかった。
「葵のジュエルハートを、返して‼」
「……何この子」
紅はいらつきながらひとはを見た。
「そういう考えなら、俺もようしゃしないけど」
マコは含み笑いをすると、カンカンと黒いブーツを地面に二回打ちつけた。
「はぁあっ‼」
ひとははロッドを握りしめるとマコに向かっていった。マコは地面をけり、高く飛び上がってひとはの視界から消えた。
「スカーレット」
マコが宙に浮きながら紅に言った。
紅はにやりと笑うと鎌を横に振った。ひとははしゃがんでかわし、ロッドで紅の鎌を持った手に打撃を加えた。
「いった……‼」
するとマコが宙からひとはの近くに落ち、ブーツで地面に大きな衝撃を与えた。割れ目が公園中に広がり、地震のように大きく揺れた。
「……っ‼」
ひとはは尻もちをついた。
「君はそうまでして何を頑張るの?葵のことが嫌いなんでしょ?」
マコはひとはに近づくと、武器であるブーツをひとはに向けた。
「痛い思いしてまで、戦わなくていいじゃない」
ひとははうつむいていたが、顔を上げて立ち上がった。
「魔法少女は、みんなを助けなくちゃいけないの……」
ひとははガタガタになった地面で足をふんばらせると、ロッドを握りマコをにらんだ。
「それが、わたしの大好きなローズウィッチに教えてもらったことだから‼」
「あっそう。でもな、強さは歴然だろ?たった一人で何ができるんだよ‼」
マコは飛び上がり、ブーツをひとはめがけて振り下ろした。
「一人じゃないさ」
バチィッ‼
ひとはに向かったマコのブーツを、銀色の剣がはじいた。
「なんっ……⁉」
ひとはの前に白いマントをはおった少年が降り立った。
『ジャスティス‼』
ひとはとテンテンが驚きと喜びの声を上げた。
「遅くなってごめん、ピンキッシュ」
ジャスティスはひとはの隣に立つと、彼女のよろけそうな体を支えた。
「チッ……スカーレット!」
マコは紅の方を振り向いた。紅はへたりこんで地面に座っている。
「ちょっと……マコ……あたしのことも考えて攻撃しなさいよ……っ‼」
「あ……」
さっきマコが地面を叩き割った時に紅もダメージを受けていたのだ。
「二人なら負けないさ」
「うん」
ジャスティスはひとはを見、ひとはもジャスティスを見てうなずいた。
「調子に乗るなよ‼」
マコはブーツを黒く光らせ、宙を数回蹴りひとはとジャスティスに向かって黒いトゲを発射させた。
「きゃああっ‼」
ひとははあわてて四つんばいになってよけ、ジャスティスは長剣で防いだ。
「スカーレット‼」
マコはいらついた声で紅に怒鳴りながら見やった。
「わかってる」
紅は落ちていた鎌を拾い、ぎらついた目でひとはを見た。
「ひっ……」
「ひるむなピンキッシュ‼ジャスティスと協力して戦うんだ‼」
テンテンはおじけづいたひとはに助言を送る。
「ピンキッシュ、俺のそばにいろ」
ジャスティスがひとはの近くに寄り、となりに立った。ひとはの胸がとくんと高鳴った。
「俺が手を握ったら一緒に『ブライトアップ』って叫ぶんだ」
ジャスティスはそう言ってすぐにひとはの右手を握った。
『ブライトアップ‼』
二人が叫ぶと、ひとはの鏡が大きくなり、計十枚ほど現れ、紅とマコを取り囲んだ。
ジャスティスの剣は大きくなり取り囲んだ鏡の中心に浮き、その後十枚の鏡から剣が一本ずつ現れた。
「なっ⁉」マコが驚く。
「アルティマ・グラディウス‼」
計十一本になった剣はマコと紅めがけて進み、大きなしょうげきを生んだ。
マコはブーツで飛び上がりよけたが、紅はダメージを食らった。
「紅‼」
砂ぼこりがおさまり視界が晴れると、紅は地面に倒れていた。
「チッ‼」
マコは葵のジュエルハートをポケットに入れたまま逃げようとひとはたちに背を向けた。
「行かせるか‼」
ジャスティスが右手をかかげ、着地の瞬間のマコを狙って剣を飛ばした。
「ぐうっ‼」
マコは強いしょうげきを食らい、公園の入り口付近に倒れた。
ジャスティスはマコに近寄ると、服の中から葵のジュエルハートを抜き出した。
「返してもらうぞ」
ジャスティスは冷たく言い放つと、ひとはとテンテンの方へ歩いていった。
「やったあ‼」
「さ、ピンキッシュ、これを彼女の中へ」
ジャスティスはジュエルハートをひとはに渡した。
(……全く……情けないガキどもだ)
体のしんからこおりつくような寒けと、わき上がる恐怖心に、ひとは、ジャスティス、テンテンはいっせいに辺りを見回した。
「えっ……何……」
何の姿も現れず、声も聞こえない。ただぞくぞくした悪寒と重たいオーラだけがどこからか発せられていた。
「ゴス……様……」
マコは目を見開き、オーラにおしつぶされそうな体を何とか起き上がらせながらすぐ後ろを見つめていた。
(ジュエルハート一つごときでこんな子ども二人に負けるのか)
「も……申し訳……ありません……‼」
「誰と話してるの……?」
ひとはたちの目には何も見えない。だが、マコの目にははっきりと映っているようだ。
(お前ら、誓ったんだよなぁ?変身する代わりに俺に忠誠をつくすと)
『は……い……』
(だったら、その身と心を犠牲にしてでもジュエルハートを奪わねぇか‼)
倒れていた紅とマコは恐怖で顔をひきつらせて起き上がり、同時に右手を上にあげた。
『ダーク・ストロング・マインド‼』
紅とマコの体の中心からジュエルハートが抜き取られ、黒く光り輝いた後、二つが合わさり、大きな鎌を持ち黒いブーツをはいた巨大な木こりのような怪物が現れた。
ジュエルハートを抜き取られた二人は気を失って倒れた。
「ええ――っ⁉」
ひとはは何が起こっているか分からず、ジャスティスのそでをつかみながらできことを見ていた。
「うわああああ――‼」
公園の周りでことを見ていた通行人たちはパニックになった。
「ウオオオオオオッ‼」
巨大な木こりがひとはめがけて鎌を振り下ろしてきた。ひとはは恐怖で体が動かない。
「きゃああああ――‼」
間一髪、ジャスティスがひとはに向かって飛び、一緒になって公園のフェンスの向こうまで転がった。
おかげでひとはは傷を負うことはなかった、が――
「ジャスティス⁉」
ジャスティスの背中にはざっくりと深い切れ目ができていた。
「う……ああっ‼」
瞬間、ジャスティスの体が光ると、姿が変わった。
背が低く、地味な顔立ちの、見覚えのある少年に。
「小谷……くん⁉」
ひとはは驚いて彼の顔を見た。
「ごめん……羽鳥くんじゃなくて……がっかりしたよね」
「そんなことどうでもいいよ‼……なんで⁉なんでそこまでして私をかばったの⁉」
「ひとはちゃんが、好きだから」
「え……」
ひとはは信じられなかった。
「僕がこの姿になったのは……羽鳥くんをイメージしたからなんだ。君が羽鳥くんに憧れているのを見て、彼みたいになれたらって、イメージして変身したんだ」
「なんであたしなんかを」
ひとははしずくを落とした。
「ブスでそばかすだらけでダサくて頭悪くて……いいところなんてひとつもない、そんなあたしを……なんで……」
「君は優しいじゃない」
ひとはは目を開いた。
「僕がいじめられてる時、いつも見てた。他の子は関係ないって顔して行っちゃうのに。助けようとしてくれたんだよね」
「そんな……ことで……」
「僕もコンプレックスのかたまりだ。でも、だからこうしてジャスティスになれた。君も同じでしょ。ピンキッシュもひとはも全部ひっくるめて……君が……好きだ」
つかさは顔を青くして目を閉じた。
「小谷くん‼」
木こりがおたけびをあげながら近づいてくる。
怖い。逃げたい。
でも。
ここで逃げたら、魔法少女なんて名乗る資格はない。
ひとははボロボロになった衣装のままで、震える足を押さえて立ち上がった。
(小谷くんを守りたい)
こんなわたしを初めて好きになってくれた人を。
今度はわたしがあなたを助ける番だ。
「ひとは、つかさを治療するんだ‼」
ひとはの頭の中に言葉が浮かんだ。
「セラピア・プリズム‼」
つかさの傷に手を当てて呪文を唱えると、つかさの体が光り輝き、背中の傷が完治した。
つかさはゆっくり起き上がり、ひとはを見つめた。
「……ありがとう」
「ひとは、つかさ、仕切り直しだ‼」
つかさは立ち上がり、ひとはも変身を解いた。
つかさは携帯電話、ひとははコンパクトを持ってかけ声を唱えた。
「リリース&チェンジ、コンプリティ‼」
「リリース&チェンジ、コンバトラー‼」
『ウルトラジャイアンティス‼』
ひとはとつかさのジュエルハートが虹色に眩く輝き、二人は変身した姿で木こりと同じぐらい巨大化した。
「うわああああ‼」
「なんだあれ⁉」
いつの間にか離れた場所だが人が集まり、見物人ができていた。
木こりはブーツの力で上へ飛び上がった。高い所から大鎌を振り下ろそうとしている。
「いくよ、ピンキッシュ‼」
「はい‼」
ひとはとジャスティスは上に向けて両手を上げた。二人のジュエルハートが合わさり、大きく変化して宙に浮いた。
『ジュエルハート・ウルトラシャイニング―――ッ‼』
二人の全身とジュエルハートから大きな白い光線が発射され、大鎌を振り下ろしてきた木こりに直撃した。
「う……ゴホッゴホッ」
白い砂埃の中、ひとははせきこんでひざをついた。
「どう……なったの……?」
煙が晴れ、ひとはとジャスティスはもとの大きさに戻っていた。
ジャスティスは立て膝をついて座り、マコと紅は倒れたままで、巨大な木こりは消えていた。
「勝った……の……?」
「ひとは、つかさ、よくやったな‼大勝利だ‼」
テンテンが飛びはねながらひとはのところまでやってきた。
「ほんとにほんと⁉どこかへ逃げてったなんてことないよね⁉」
テンテンは苦笑すると、地面を指差した。
「ほんとだよ。あれ見てみ」
テンテンの示したところを見ると、黒い宝石が二つ、地面へ落ちていた。
「あれが化け物になったんだ」
ひとはが宝石の方へ近づくと、ジュエルハートがチカチカとまたたいていた。少し小さくて赤っぽい方が紅のだろうか。
「さて」
テンテンが二人を見上げた。
「疲れただろうが最後の仕事だ。三人のジュエルハートを元に戻すぞ」
「そうだね」
ひとはとジャスティスは二つを地面に置くと、同時に唱えた。
『プリファイ・プリズム』
マコと紅のジュエルハートの黒さが消え、透明なクリスタルのようになった。
「虹色にするにはまだ二人の力が足りないが……これで十分だ」
ひとはは透明なジュエルハートをマコと紅の方へ歩いて持って行き、二人の顔を見た。
憎らしい二人だが、こうして心を失って倒れているのを見るとなんだかかわいそうに思えた。
ひとははマコの胸に大きい方のジュエルハートを当てた。それはマコの中心に吸い込まれ、顔色が良くなると変身が解けた。
ジャスティスは紅のジュエルハートを元に戻し、変身が解けた彼女を見た。
姿が元に戻っても二人は目を閉じたままだが、息はしている。
「なんでゴスなんかに……やめとけばよかったのに」
テンテンが悲しげな顔をマコと紅に向けた。
ひとはは顔を上げ、虹色の宝石を握り締めて葵のそばへ寄った。
葵の胸に宝石を当てると、静かに吸い込まれた。
「……」
葵は目を覚ました。
ピンキッシュは複雑そうに、だがホッとした顔で葵を見た。
「……あなたたちは?」
ジャスティスが近くに寄り、ピンキッシュの方に手の平を向けた。
「彼女が助けてくれたんだよ」
葵はピンキッシュを見ると、しばらく沈黙してから口を開けた。
「……ありがとう」
ひとはの複雑だった心のひもが、すっと、少しだけ解けたような気がした。
「一人で帰れるか?」
テンテンが葵に言った。葵はぎょっとして顔を青くした。
「なっ、何⁉この生き物‼しゃべった⁉」
葵の青ざめた顔を見て、ひとははおかしくなって笑い出した。
「ちょっとあんた!何笑ってんのよ⁉」
「大丈夫、しゃべるぬいぐるみだから」
ジャスティスがフォローした。
「はぁ⁉嘘でしょ……え、そうなの?どっち?全く、心臓に悪いわよ……」
葵は帰り、気を失ったままのマコと紅は公園付近にいた住民に病院に送ってもらい、変身を解いたひとはとつかさは夕暮れの橋の上を歩いていた。
「……でも改めて、ジャスティスが小谷くんだったなんてびっくりだよ……わたしの正体、知ってたの?」
「なんとなくね。僕、頭が悪いのがコンプレックスだから、変身するとそれがなおるんだ。その時気づいた」
「そっかぁ……でも、魔法少女って大変なんだなぁって、なってみて初めてわかったよ」
「そうだね。でも僕は結構ノッてやれてるかな」
ひとはは苦笑した。
「ひとはちゃん」
じっと見つめられ、ひとははびくっと反応してつかさの方に向き直った。
「さえない僕だけど、これからも一緒に戦ってくれますか?」
その真剣なまなざしに、ひとはは「イケメンでもないのに何でだろう」と思いながらドキドキしていた。
「……うん。いっしょにコンプレックスを克服していこう」
ひとははぎこちなく片手を差し出した。
「克服しちゃったら、変身できなくなっちゃうよ」
つかさは笑った。
「あ、そっか」
ひとはもつられて笑った。
『あはははははっ』
二人仲良く、遠くに沈む夕日に照らされながら、お互い笑い合った。
わたしはこれからもこうして、人々の心の宝石を守っていくのだろうか。
色々不安もあるけど、小谷くんと一緒なら、大丈夫な気がするんだ。
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